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東川隆太郎の「かごしま世間遺産探訪記」ーvol23.武士の町・麓を埋没させた溶岩流(鹿児島市桜島横山町)ー 

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やっぱり、桜島は何度眺めようとも何度訪れようとも飽きることのない山である。
そんな桜島の名であるが、山なんだけど島と表現されている。
確かに、大正3(1914)年1月12日の大噴火による溶岩流出によって大隅半島と陸続きとなる以前は、島であった。

もちろん、北岳や南岳といった呼称もあるにはあるが、夕暮れに映える姿を目にしたら「今日の北岳は夕陽が当たって素晴らしいなあ」よりは「今日の桜島わっせよかよ」のほうがしっくりくる。
また、人口密集地の鹿児島市街地からはフェリーを利用して桜島に渡るので、「島に行く」という感覚は、大正噴火から100年以上経過するけれども残っている。

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何度見ても飽きることのない桜島と城山(袴腰):東川隆太郎撮影

その大正噴火の溶岩流出は、島と半島と陸続きになるというとんでもない事象を引き起こしたが、烏島という小さな島も埋没させているし、噴火による軽石や火山灰の堆積によってその大部分が埋没した鳥居や門柱を目にしたことがある方も多いだろう。
大正噴火は桜島が誕生して17回目の大噴火であり、私たちがリアリティをもってそのすごさを感じられる痕跡が今なお残っている。

半島と陸続きになったのは島の東側であるが、島の西側に流出した溶岩は、江戸時代の薩摩藩における外城制度と呼ばれる地域統治体制において成立した「麓」と呼ばれる武士居住地域も埋没させている。
旧薩摩藩領内には、約113箇所の外城こと郷と呼ばれる地方行政区が存在し、それには、地域を統括するための武士たちが居住した「麓」があった。

こうした麓は景観的にも秀逸で、知覧武家屋敷群や出水麓武家屋敷群など鹿児島県を代表する観光地として親しまれている地域もある。
現在の宮崎県の一部までに点在する麓だが、前述のように美観地区として残っている場所もあれば、道路開設や一層の宅地化でわかりにくくなっている場所もある。
しかし桜島外城こと桜島郷の麓の横山は溶岩流出によってそのほとんどが埋もれ失われたという特異性がある。
今回は、その横山を溶岩流出と麓をキーワードに深掘りしたい。

薩摩藩の外城制度では、地方の外城こと郷は藩直轄の直轄領と家臣が治める私領地に分かれていて、桜島郷は直轄領であった。
そのため地頭仮屋が郷の政治・軍事の中心として機能し、桜島郷には前の櫻洲小学校の場所に置かれていたという(櫻洲小学校は大正噴火後に移転)。
文政7(1824)年の横山麓の郷士数は272軒、平馬場や中馬場と呼ばれる町割りがされた街路沿いに屋敷が点在していたという。
かつての櫻洲小学校跡は、現在の京都大学の火山観測所近くの空地にあたり、現在は学校が埋没したことを示す記念碑が建立されている。

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櫻洲小学校の埋没記念碑:東川隆太郎撮影

地頭仮屋跡は「桜島町郷土誌」に掲載されている地図によると、桜島の西の海岸近くに位置し、現在の空き地となっている高台の位置と比較するだけでも、大正溶岩流出の規模のすさまじさが理解できる。
前述の地図には現在恐竜公園のある城山の東側(海と反対側)の下に麓が広がり、街路の一部は溶岩の流出ルートからぎりぎり免れていることが確認できる(図)。

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図:「桜島町郷土誌より」

ちなみに大正噴火において溶岩流出が横山方面に始まったのは、1月13日の20時頃のことで、西側山腹からであった。
そして、翌日の7時には城山の上方約500メートルまで溶岩の先端が流出してきたという。
15日には溶岩の流出源となる噴火口が7~8個一列に並ぶのが確認され、その翌日の朝には溶岩流は横山の海岸線に到達したという。

こうして麓が溶岩流によって埋没するという前例のない出来事が発生した。
溶岩流出は徐々に小康しながら二月初旬まで続いたとされ、その過程で横山沖にあった烏島も1月18日には埋め尽くされている。

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人々の生活を飲み込んだ大正溶岩:東川隆太郎撮影
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溶岩流入の境目となった大正溶岩流の縁:東川隆太郎撮影

地図を見ながら溶岩を免れた街路を歩くとなんとなく麓の雰囲気が残っていた。

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麓の町割が残る通り:東川隆太郎撮影

また住所は横山町であるが、町内会活動は隣の小池地区に入っていると住民の方に教わった。
かつての地頭仮屋があった方向を振り返ると、家々の建ち並んだ麓を埋没させた溶岩流が巨大な壁のように見えた。
道路が通り車で移動できるようになった今ならまだしも、この巨大な壁を頻繁に越えて生活するのは容易ではあるまい。
溶岩は地区の在り方も変えたのだ。

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通りの向こうに溶岩流、大正噴火は地域の在り方を変えた:東川隆太郎撮影

麓を埋没させた溶岩流は悠々とした姿を横たえ、今では松などの植物を穏やかに繁茂させている。

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集落の周縁部に横たわる溶岩流:東川隆太郎撮影

また、わずかではあるが、武士の町・麓らしい町割りの一部が残っていた。
これらには大正噴火のすさまじさを伝える災害遺産としての価値も含まれるものである。
桜島の東側における島と半島がくっついた溶岩もすごいが、西側においても江戸期における島の中心地が甚大な被害を受ける前例のない現象が起こっていたことを伝えたく、世間遺産に認定した。

参考文献
桜島町郷土誌 昭和63年3月発行  編纂者 桜島町郷土誌編さん委員会
桜島大噴火 平成6年1月 発行

この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。

かごしま探検の会ホームページはこちら

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