どうも、僕です◯┓
僕が中学生くらいのころはギリギリ「ヤンキー文化」というのが残っていました。
誰々のにーちゃんは(暴走族)族だとか、少年院に行っただとか身近な話題から、
週末夜の照国神社前の道路(テンパークのとこ)は警察が封鎖してるみたいな話題にドキドキしていました。
ヤンキーに絡まれて、先輩が通りかかって「助かった・・・」と思っていたら顔をそらされスルーされました。
その後通りかかった同じクラスの女の子も同様に通り過ぎていったのですがしれっと学校に戻って先生を呼んでくれて難をのがれました。
僕を見捨てた先輩はどこぞやで弁護士をしているそうです。
僕を救ってくれた女の子は巨大財閥の役員クラスと結婚したと風の便りで聞きました。
いつぞやの初午祭(霧島市隼人で行われるデカ目の祭り)でもヤンキーに絡まれ、
「ああ、終わったな」
と思っていたら、ヤンキー一派に友達がいて
「なにやってるの、そのアイスちょうだい」
と言われ、アイス一つで難を逃れたりなんてこともありました。
僕は中学の時の部活はバスケ部で(もはや誰も信じてくれない)、
鹿児島市のデカい中学校にいったら個室トイレのドアが取っ払われていたりして、
とにかくビビってました。
そして、部活が強いところほどね・・・
ヤンキーばりに怖かったわけです。
まぁそんな世代なのですが、
同世代のヒーローと言えば、川崎宗則選手。
僕の3個上。重(富)中(学校)。
もしかしたらリブレ(今のイオン)で至近距離までいってたかも知れないです。
そこから鹿児島工業高校からホークスに入団。
みるみるうちにスーパースターになっていきました。
福岡の知り合いのうちに遊びに行くと、そこのおばあちゃんが
「ムネリンをみなきゃ」とTV中継を見始めました。
やっぱ人気なんだなぁと。
そんな川崎選手を初めてみたのは2009年のWBC代表宮崎キャンプ。
イチローやダルビッシュなどの有名選手や古田敦也が視察に来ていた記憶が強烈すぎてあまり覚えていませんが、
確かにそこにいました。(あれ、いたよね)
それから、尊敬するイチローを追いかけてメジャーリーグへ。
イケメン枠の選手が
「アイムジャパニーーーーーズ」と叫び、おもしろ外国人枠になったときは驚きました。
メジャーとマイナーを行き来して大変な思いをしたはずですが、
地元に愛される姿を見て誇りに思ったものです。
そんな川崎選手が今年はホークスと契約を結ばないというニュースには驚きました。
重中、工業からプロ行って、メジャー行って、
日本戻って人工芝に馴染むのも大変だったんだなと。
あの工藤(公康監督)が心配してくれる、あのダルビッシュが慕ってくれている。
世界の王が「存在感がある選手」と言ってくれている。
そんな人生を歩める鹿児島の同世代はもう出てこないはず。
これから出てくるかもちょっとわからない。
カムバックするかも知れない(これに一番期待してる)し、
第二の人生をほかのことをするかもしれないし、
実家の電気屋さん手伝ってもいいかもしれない。
川崎ムネリンはマジですごかったなぁ、
今年見れないのは残念だなぁと思いつつ、
今年もプロ野球が始まりますね。
そいじゃあまた!