どうも、僕です◯┐
ここがどこかわかる人はかなりの鹿児島マニアかもしれません。
奄美大島の最西端、瀬戸内町の西古見集落というところです。
写真は曇りの日に撮ったのでなかなか伝わりにくいですが、海がかなり綺麗です。
集落から海を眺めると、集落の守り神、立神三連岩を臨むことができます。
高波から集落を守っています。
海岸には「命ありての物種」などと書かれた謎のペイントがありました。
じっくり読んだほうがよいのですが、なんとも読み進めにくいあれでした。
政治的メッセージなのか、宗教的教えなのか。
謎です。
それでも空は広く、人間の営みを飲み込んでしまいそうな感じです。
不思議な場所です。
船をつけられる港から集落を眺めると、これまた空が広い。
山の方にはかつて小中学校だった廃校もあるそうで、これからキャンプ場になるんだとか。
西古見集落は、明治時代に朝虎松という人が奄美大島で初めてとなるカツオ漁を興し、最盛期には人口1500人を超える場所だったそう。半分以上が子供だったそうで、大変賑わっていたのではないかと思います。
カツオ漁で栄えたこの集落、現在は人口30人ほどで移住してきた30代女性が一人、50代夫婦が一組以外は全員60代以上。
いわゆる限界集落にカテゴライズされる場所になっています。
集落には謎の観音像も。
後ろに立てた人の名前がありましたが、ググってもでてこなかったです。
東京の石材会社や美術関連団体の名前が入っていたので、美術的な背景がありそう。
立てられたのは平成元年ということで、すでに30年以上が経っています。
集落はとても手入れが行き届いています。
お花やベンチなどが今まさに使われている感じ、行きている感じがしました。
木のトンネル!
集落の掲示板にはイベントやお知らせなどが掲示されています。
誰かが管理しているようです。
集落の全体図。
西郷隆盛が訪れたこともあるそう。
そして、太平洋戦争時に使われていた監視所もあるようです。
戦後はアメリカの支配下にあった時期もあり、色々な歴史があるのだろうなと思いを巡らせます。
「よいすら」と書かれた建物。
割と新しめではありますが、何屋さんなのかは謎です。
道路沿いに続く石垣。
サンゴでできています。
奄美にはサンゴを石垣に積み上げる職人さんがいらっしゃったようですが、
最後まで活動していた加計呂麻島の職人さんは現役を引退。
もう作れる人がいないロストテクノロジーとなっています。
石垣をよく見てみると、たしかにサンゴのような形をしていました。
ところどころに貝殻のようなものも挟まれていて、
これを積み上げられるのには技術が必要のようです。
ちなみに、あとから聞いたのですが石垣の隙間にハブが潜んでいることがあるらしいので要注意です(ヒエッ)。
サンゴ石垣に変わってブロックも使われているようになっています。
撮影したポイントから一段下がったところにも民家などがあり、
さらにその1段下に側溝があり、川につながっています。
台風や大雨に晒される地域ですので、排水にも工夫がなされているようでした。
海に近い場所でよく見かけるブロック塀。
補修に補修を重ねてきた跡が見受けられ、歴史を感じます。
大事に大事にしてきたという思いが伝わってきます。
どこまでも歩いていきたいような気がしてきます。
大正8年「紀年」と書かれたブロック。
かなり早いころからサンゴからブロックに切り替わっていったのではないかなと推測されます。
あるいは、集落のメインストリートはしっかりブロックで、民家はサンゴだったのかな?
漁業で栄えていた場所なので、公共事業も取り組みやすかったのかもしれません。
人口30人程度の集落、空き家も非常に多かったです。
かつてはたくさんの子どもたちで賑わっていたのかと思うと胸が熱くなります。
空き家の割にはある程度管理もされているようで、
朽ち果てているようなところは見つけられなかったです。
島で唯一の金融機関、郵便局。
大半の方が年金受給者のようなので集落の経済を支える、
そして、物流にもコミットしているのではないかと推察できます。
特産品を作って、通販サイトなどで販売する砦としても機能できればという感じです。
島で唯一の加商店。
ネットでよく見かけるこちらのおばあちゃんは亡くなり、
息子さんがやっているといったお話も聞きました。
高齢者の多い限界集落、高齢者も天命を全うしはじめていて、
いよいよ限界集落の最終局面まで迎えているとも言われているようです。
島唯一の飲食店「西古見カフェ」。
2021年にオープンし、住民と外部の人との交流の拠点となっているそう。
南海日日新聞の記事には、「カフェ開業は高齢化と人口減少に悩む西古見の住民たちが”集落存続”を懸けて取り組むプロジェクト」とあります。
集落に住む高齢者の皆さんは寝たきりの方もいらっしゃるそうで、
日中はあまり人気のない感じでした。
それでも、動ける方は熱心に町の掃除をしたり、
家の補修など協力しあって暮らしているそう。
道や家先はとても綺麗になっていて過ごしやすい場所でした。
ずっとずっと昔に人が住み着いて繁栄し、
時代の流れで集落から人がいなくなり長い歴史が終わるか、
ここと思って移住して、子育てなどする人が再びやってくるのか。
奄美大島の西の果て、陸の孤島と呼ばれるこの集落の行く末は、
僕たちが住む日本の将来も占っているのではという想像までさせてくれました。
西古見集落が集落であり続けることは、
高齢化社会日本が目指すべきヒントが隠れている気がします。
なんて難しいことも考えちゃうわけですが、
海が綺麗でとってもいい場所でした。
そいじゃあまた!