今、私が行くと確実に不要不急となってしまうので行きたくても行かないが、今とっても徳之島に行きたいと思っている。でも行かない。
とりあえず、徳之島の地図でも眺めながら行った気分になろうということで、県立図書館で住宅地図を眺めていた。
なかでも時間をかけて見てしまうのは住宅地図だけに、徳之島で一番の繁華街である亀津。
地図上でも家々や商業施設などがぎゅっと集中していて、これまで何度も何度も訪れた亀津を思い出しながら地図を辿る。
少し小高い場所にある高千穂神社から街へと降りて、路地に入ったりしながら商店街に近づいていく。
大瀬川の辺りまでくると、ハンバーガーの美味しい店や、飲むとやたらに元気なったやぎ汁の店などが味覚とともに蘇ってくる。
さらに、国際交流の思い出のあるスナックや闘牛のビデオばかりの店などを追いながら、亀津の街を北上していく。
秋葉神社を左側に確認したら、だんだんと亀津から亀徳に近づいていく…。と、住宅地図を広げているだけで、亀津を堪能している自分に気が付いた。
今はグーグルマップのストリートビューなんてものもあるらしいが、住宅地図は自分の想像や記憶が遺憾なく発揮できる、例えば映画とは違った小説のような魅力があるんじゃなかろうか。
改めて行かなくても楽しめる方法を少しだけ獲得したような気になった。が、いやいや、でもやっぱり行きたいなあ。
ということで、十分な徳之島愛を胸に抱きながら、島の素敵な山をご紹介したい。
徳之島の海岸は、他の奄美諸島同様に珊瑚礁に囲まれて、どこも美しい。
そんな海岸のひとつに徳之島では北東に位置する里久浜がある。
亀津から空港へ向かう途中にもあたり、始初めて立ち寄った時に、海と砂浜の美しさはもちろんだが、それ以上に浜の北側にある宮城山に感動した。
高さは約58メートル、周囲は約800メートルの海に突き出した台形の山で、地元ではすり鉢山とも呼ばれている。
その突き出し方はすこぶる気品があるように感じられる。
高さが高くもなく低くもないし、台形のフォルムが空にも海にも浜にもやさしく接しているように思えるのだ。
このやさしい感じは何に由来しているのだろうと山に近づいてみると、山頂には学問の神様である菅原神社が祭られていることを知った。
ただ、私は単純に登るのがきついという理由ではなく、徳之島ゆえにハブが怖いということで登るのは断念した。
でもやさしさの理由が知りたくて、後日この山について調べてみると「グスク」であることが分かった。
グスクは内地での城のことで、宮城の名の起源になっているとのことである。
かつて島の統治に按司と呼ばれる豪族が関わっていた頃、このグスクは花徳按司が拠点としていたという。
花徳按司は、島の北西に位置する天城を拠点としていた大城按司と勢力争いをしたそうだ。
伝承によると争い方がとてもユニークで、いろいろ争っては負けていた花徳按司は、大城按司と相撲も取ったが負けてしまい、馬まで奪われた。そこで最終的に「大便賭け」、すなわち便の大きさで競うことになった。
花徳按司は自信があったのだろう。ところが、それでも負けてしまった。
美味しい魚を食べていた花徳按司は、なぜか下痢をしていまい、濾した芋を食べていた大城按司は立派な便をしたという。
便負けした花徳按司は、ついに大城按司に忠誠を誓うようになったという。
大便賭けという話も初めて知ったが、伝承とはいえ下痢をした按司が居城していたことが、私にピンとこさせたやさしい形状に影響したのかもと納得したのであった(個人の感想です)。
花徳集落のはずれには車で近くまでいける小高い場所に花徳神社がある。
ここに立つと、宮城山とともに世界自然遺産の候補でもある徳之島の最高峰の井之川岳などを眺望することができる。
600メートル級の井之川岳はさすがに目立っているが、花徳集落を守るようにある小高い宮城山もたのもしく映る。
井之川岳が世界遺産なら、宮城山は世間遺産だと、勝手に花徳神社に誓いをたててしまい、大便の伝承も含めて世間自然遺産として認定した。
今度、徳之島を訪れた際には地元の方といっしょに登ってみたいな。
参考文献
天城町誌 昭和53年刊行 天城町役場
南日本文化 第35号 2001年度 鹿児島国際大学付属地域総合研究所
鹿児島県の地名・日本歴史地名大系47 平凡社 1998年初版
この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。
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