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東川隆太郎の「かごしま世間遺産探訪記」ーvol22.栗生の道(屋久島町栗生)ー 

この記事は1年以上前に書かれた記事です。 営業時間など最新の情報はお店にお問い合わせください。 変更等お気づきの場合はメニューの情報提供カテゴリーからご連絡いただけると幸いです。

2021年7月に奄美・徳之島が沖縄島や西表島と一緒に世界自然遺産に登録され、鹿児島県は屋久島とともに世界自然遺産をふたつ有する県となった。

世界遺産登録においては先輩といえる屋久島が登録されたのは、平成5(1993)年のこと。
たまたまその年、私は屋久島を初めて訪れている。
友人の父親が屋久島に単身赴任しており、宿泊先もあるから行ってみないかという軽い誘いに導かれての訪問だった。
その頃は20代前半ということもあって、花之江河という場所まで登山もした。
その後、何度も何度も屋久島を訪れているが登山はこの時の一回のみである。
別の機会に小杉谷という屋久杉伐採のための集落跡まで歩いたことがあるが、ほとんど高低差はない行程であった。
花之江河は宮之浦岳に登山するルート沿いにある。
今さらながらよく登ったなあと自分で自分に感心している。

そんな私であるが、島の周辺に点在する集落だけは、その後も細やかにお邪魔し歩いている。
もちろん、縄文杉を見てみたいという気もない訳ではないが、やっぱり集落をぶらぶらすることで屋久島に大満足してしまい、そこまでの気分に至ることが今のところない。
登山したいという気分になれる日が来るのだろうか。

さて、今回はそんな屋久島での集落散策で出会った、素敵な道をご紹介したい。

屋久島では南西に位置する栗生集落は、屋久島の交通の玄関口たる宮之浦や安房港、そして屋久島空港のいずれからも遠い位置にある集落である。
島の北西部に位置する永田集落は、栗生との関係的には隣の集落であるが西部林道をうーんと通行しての隣であり、車での移動が可能な現在においても時間がかかる。

そんな栗生集落であるが、栗生川の河口に集落が広がることから天然の良港として栄え、特に屋久島から南の島々との接点としての役割を担っていた。
江戸期には津口番所とよばれる藩の港の役所も置かれ、唐通詞も配置されていた。
こうした状況を反映するかのように、集落はずれにある共同墓地には、江戸期からの由緒のある墓石が無数に並んでいる。
その石は本土の山川周辺で産出する溶結凝灰岩と推定され、その数と立派な墓石の形状からも栗生の繁栄ぶりが理解できる。

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古の繁栄を伺わせる栗生共同墓地:東川隆太郎撮影

集落は旧県道周辺にぎゅっと密集しており郵便局や商店も並ぶ。

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かつて、南の島々との接点となった栗生集落の旧県道:東川隆太郎撮影

そしてその旧県道を背骨にするように左右に路地が延びている。
現在の県道が新設されたのは、昭和56年のことで、それまでは集落のこの背骨の道が屋久島を一周できる道路とつながっていた。
旧県道は昭和32年に架橋されたコンクリート製の栗生橋まで伸び、現在の県道は昭和57年に架橋された新栗生橋に接続している。

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昭和時代に新設された県道をつなぐ栗生橋:東川隆太郎撮影

旧県道はまっすぐでない微妙な曲線を描き、先が見通せそうでいて見通せないといった旧道らしさがある。

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見通せそうで見通せない、趣き深い旧県道:東川隆太郎撮影

また、左右の路地には屋久島ならではの花崗岩が積まれた石垣が連続し、まさに迷い込みたくなる路地である。
これらの石は地元では「ケンチ石」と呼ばれ、栗生川上流から運ばれ、集落の石工が石積みを手掛けていたという。

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迷い込みたくなる路地:東川隆太郎撮影

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屋久島の歴史を見つめてきた路地の石積み:東川隆太郎撮影

旧県道の雰囲気がとにかく素晴らしく、且つまたその歴史の証言者ともいえる栗生橋も現存し、見上げると屋久島らしい山々もみえ、その山から削られてきた石でつくられた石垣が景色に映えるというこの道に島の個性を強く感じ、世間遺産に認定した。

参考文献

屋久町郷土誌 第一巻

この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。

かごしま探検の会ホームページはこちら

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