小学生の時、自分の素行の悪さを担任の先生から咎められた。「お前は学校に何しに来ているんだ。給食を食べに来ているんじゃないか。」と言われ、おもわず正直に「はい。」と返事してしまったことがある。それくらいに自分は、給食が大好きで学校生活のなかで最も重要だった。その給食で使用していたのが先割れスプーン。ただ、それに関して高学年になるまでずっと勘違いをしていたことがあった。それは先割れスプーンの形は、当時給食と同じくらいに大好きだった「宇宙戦艦ヤマト」の先っぽがモデルになっていると考えていたことだ。自分のなかで重要度が同じくらいだったがゆえに思考がなんとなく融合しての勘違いであったが、温食などをいただく際に先割れスプーンを使用しながら、常に「宇宙戦艦ヤマト」のことを思っていた。そのような給食体験を有する私が、大人になって「宇宙戦艦ヤマト」の先っぽ的形状に垂水で出会ってしまったお話。
垂水市街地を流れる本城川の南側には、平均標高50メートルほどの台地が連続している。それらの一部は中世には、地域の豪族たちの山城として活用されていた。本城、高城、岡崎城、葛迫城などがそれであり、現在も城の縄張りなどを地形からたどることができる。こうした城の地質の大部分は、鹿児島特有の「シラス」と呼ばれる火砕流堆積物から成り、その特徴を巧みに利用したのが山城であったりする。また、標高が平均で50メートルという台地の形成にも火砕流の堆積が大きく関わっている。
そもそもシラスはどこから流入したかといえば、いわゆる姶良火山であり、今から約2万9000年前の大規模噴火に起因している。姶良火山は一連の大規模噴火が終了した後に陥没して「姶良カルデラ」を形成する。それが現在の鹿児島湾の湾奥部にあたり、その南縁から後に桜島が誕生している。垂水市の本城川周辺は、姶良火山の南東に位置し、噴出源から比較的近い場所にあることから火砕流の影響を受けやすく、姶良火山の噴火活動を研究するのに地質現象に恵まれた地域でもある。そのひとつとして「宇宙戦艦ヤマト」の先っぽのようなものが登場する。
姶良火山の大噴火の初期には、軽石を大量に堆積させた噴火が発生したと考えられている。それは大隅降下軽石と呼ばれ、特に大隅半島にその証拠となる露頭(地質現象が理解できる証拠)が確認される。それらは本城川周辺でも確認され、この付近で観察されるものは学術的に垂水火砕流とも呼ばれている。「シラス」に象徴されるように、姶良火山の噴出物は全体として流水などの影響を受けやすく、現在ある姿は約2万9000年かけて浸食された結果ということになる。
その浸食によって、絶妙に「宇宙戦艦ヤマト」の先っぽ化した垂水火砕流の露頭が本城川沿いにあるのである。初めて出会った瞬間、「あ、ヤマトの先っぽだ。」と思った。ただ、露頭の上部には先割れスプーンがない。でも、とんがり具合が先っぽに見えてならない。露頭の表層を触れてみると、軽石が少しぼろぼろするが先っぽ全体は比較的固く、簡単には崩れる状態ではない。この先っぽの西側に位置する山城のひとつの高城跡の軽石層には、比較的固いという性質を利用して人面のようなものが加工されているのが確認されている。戦う城ゆえに魔除けのような意味があったのかもしれないが、これも珍しい。ただ、こちらは指定文化財等になりうるので、世間遺産的には、やはり先っぽの方を推したい。先っぽだって防衛上利用された形跡もあり、先っぽの右側には防空壕跡も確認される。
約10メートルの垂水火砕流という姶良火山の初期の噴火を示す露頭としてだけでなく、宇宙戦艦ヤマトの先っぽのようでもある威厳とロマンが融合され、世間遺産に認定した。
(参考文献)
日本の地形7 九州・南西諸島 町田洋・太田陽子・河合俊男・森脇広・長岡信治編
シラス学 横山勝三著
ふるさとの歴史 垂水市垂水編 中島信夫著
大隅降下軽石に伴う垂水火砕流の発生―堆積様式 福島大輔・小林哲夫 火山第45巻
この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。
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