あまりひとのことは言えないが、「太るということ」や「脂と向き合う」ということを徹底し実践してきた男がいちき串木野市にいる。
ご存じの方々も多いと思うが、観光案内所勤務の通称「たけどん」こと竹原勇輝氏である。
数年前の西郷どんブームの際、映画「アルマゲドン」に登場する地球をやばくさせた巨大な彗星の如く、世の中に現れた彼である。
風貌が鹿児島を代表する偉人の西郷隆盛に類似していること(外見が同系統)や、彼の性格も西郷隆盛のイメージ(やさしそう)に近いということもあって、一躍人気者になった。
あまりひとのことは言えないが、たけどんの太り方は、寄せていたはずの西郷さん以上であり、彼は「太る」ということ、または「太っている」ということ自体が彼の仕事であるかのようになっている。
中園氏はこれを「プロの太り手」と評している。言いえて妙である。
そんな彼の生まれ育った場所は地形で表現するならば、実はちょっとした海岸段丘の上にある。
ということは、家を出てどこかに出かける際には、必ず坂道を上り下りするといったカロリーを消費せざるを得ない地に居住しているはずだ。
普通ならば、「太る」要素があまりない場所に彼は暮らしている。
それなのにたけどんはふくよかな体型を維持している…!。
そのことに気づいたとき、私の中で謎がグルーヴした。
うっかりしていたが、肝心の世間遺産は彼ではない。
串木野市街地を少々でこぼこな状況にしている海岸段丘である。
路地をこよなく愛する私にとって段差は重要な要素で、その意味で串木野市街地は鹿児島での聖地のような地域である。
串木野市街地の海岸段丘は、南北方向と東西方向の両方の海岸に沿って発達している。
ひとつが、照島の北側の小瀬町から東島平町にかけての東西方向に伸びた段丘である。
もうひとつが、たけどんの生家がある浜町のアーケード(ぴらーど浜町)から御倉山公園、新生町にかけての段丘である。
他にも市街地には海岸段丘だけでない微妙な高低差もところどころに確認され、そこには段差を克服するための階段がいい具合に設置されている。
世間遺産的には、この「いい具合」という指標が重要であり、階段の形状や傾斜角を含めて、実用性だけでなく観賞に耐えられるかがポイントである。
たけどん生誕の地の自転車屋の近くにある浜町公民館の入口の階段は扇状で、用がないけど上りたい気分にさせてくれる。
類似の階段は、そのすぐ近くの元町にもあり、たけどんも利用しているとのこと(プチ情報)。
ちなみに浜町は串木野市場の始まりの場ともされていて、昭和25年に漁菜荷捌所が開設されてからは、串木野一番の賑わいを呈していた。
段差は、それらを支える存在でもあり、これらを上り下りしながら食料品が運ばれ、串木野の台所としての役割を担っていた。
そこから海岸段丘として南に連続する御倉山公園からの眺望も良く、夕日と漁港の組み合わせを堪能できる黄昏れるには最高の場所でもある。
また海岸段丘からは離れるが、串木野駅方面の高見町にはおもわず上りたくなるようなカーブと段差を有した階段がある。
私が夏休みの図工の自由研究で、串木野を舞台とする課題を与えられたならば、迷わずに高見町の階段を描くだろう。
現在たけどんは、いちき串木野市の情報発信で大きな役割を果たしている。
それは、彼が「太っている」ゆえに上手にできている部分は少なからずあると私は考える。ということは、串木野市街地の美しい段差群は、町のあちこちに張り巡らされながらも彼を痩せさせなかったという逆説的役割を担い、いちき串木野市の観光に大きく寄与しているとも位置付けることができるかもしれない。
ということで、世間遺産に認定した。
参考文献
串木野郷土史(補遺改訂版) 昭和59年発行 串木野市教育委員会
この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。
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