子どもの頃、アニメ「銀河鉄道999」が大好きだった。
というよりも、アニメに登場するメーテルという女性が大好きだった。
将来、お嫁さんにするのならメーテルみたいな女性がいいなあと思っている時期もあった。
学校でもメーテル似の子がいないものかと全校集会や運動会の準備の時間などに凝視したが、あれほどの長髪の女性など皆無であった。
ただ、潤んだ目元が近似している先生はいた。
だが似ているのはそこだけで、その他の容姿や性格などは別人じゃ、と小学生ながらに悟っていた。
故に、画面の中でメーテルに抱き着いたり、時には一緒に寝たりする主人公の星野鉄郎には嫉妬を覚えていた。
鉄郎とは名前の「郎」が私の隆太郎と一緒なのに、なのに、私はメーテルと出会うこともなく、怪我をしたときに看病されるわけでもなく、世の中はなんて不条理なんだと思っていた。
そのような私であるが、ずっとメーテルばかりを目で追っていた訳ではなく、蒸気機関車なのに宇宙にいける銀河鉄道999の車両も見ていて、おかげでちゃんと鉄道も好きになった。
というわけで、今回は、鉄道的世間遺産のなかでも、蒸気機関車に関連した遺産をご紹介したい。
鹿児島県内の営業路線で、全国の鉄道ファンに愛され続けている路線のひとつに肥薩線がある。
10年くらい前に「肥薩線の近代化遺産」という素敵な本の出版に関わらせていただき、沿線の鉄道関係の建物などを調査したことがある。
肥薩線の魅力は、明治期から昭和期にかけて建造され、且つ現役で活躍する構造物の多彩さにあると考える。
暗渠に橋脚、跨線橋にループ線。どれも肥薩線の歴史をしっかりと伝え継承している地域の財産である。
ただ鉄道関連ではあるが、通常の「肥薩線の鉄道遺産」としては認識されていないのが、吉松駅近くの「御手洗池」である。
御手洗池:東川隆太郎撮影
吉松駅は、現在でも肥薩線と吉都線の分岐駅で、昭和中期の国鉄全盛期時代には機関区、車掌区、保線区などが置かれて駅員だけでも600人が働いていた。
まさに吉松は鉄道の町であり、吉松機関区配属の蒸気機関車が活躍していた(それだけ大きな駅ってこと)。
その蒸気機関車も老朽化による廃止やディーゼル車への転換などで徐々に姿を消し、昭和50年には吉松駅からも営業車両が姿を消すことになった。
蒸気機関車を走らせるのに重要なもののひとつに水がある(これを読んでいる世代を考慮して念のために書くと、水を温めて発生させた蒸気の力で走っているから)。
蒸気機関車は各所で水を補給しながら走っていた。機関区がある吉松駅の背後には、その水を確保するための湧水があった。
名前は御手洗池である。古老の話によると、この湧水を手を洗うのに使用したのが殿様であったことからの命名という。
殿様が誰なのかは不明だが、吉松から変わった現在の町名は湧水町だし、なんとなく納得できる話ではある。
今も滾々(こんこん)と湧く水:東川隆太郎撮影
水の湧き出す場所は巨木に守られた窪地であり、現在も滾々と湧き続けている。
また、その場所には水神様も祀られていて、コンクリート製の鳥居が目立っている。
この鳥居は吉松駅の保線区の担当者によって奉納されていて、湧水が蒸気機関車の運行と密接な関係にあることをしっかり伝えてくれる。
御手洗池の湧水は蒸気機関車用だけでなく、国鉄宿舎の飲料水としても利用されていたというから、その大切さはなおさらである。
水神様の鳥居:東川隆太郎撮影
訪問した際には、池の排出口の大規模な工事のために水がほとんど抜かれた状態になっていたが、池の底には蜆が豊富に生息していたという。
また、池の土手には昭和5年に建立された田の神像と首などが欠損した仁王像が並んでいた。
池の上の田の神様と仁王像:東川隆太郎撮影
鉄道員で賑やかだった吉松駅の姿を見守りつつ、鉄道運行の大きな役割を担ってきた湧水。
今も静かに流れるその存在に地域らしい頼もしさを感じ、世間遺産に認定した。
湧水から池へと流れる水:東川隆太郎撮影
参考文献
吉松町郷土誌 平成7年 吉松町郷土誌編纂委員会
肥薩線の近代化遺産 2009年 熊本産業遺産研究会
湧水町名所ガイドブック「温故知新」 平成27年 市来隼人氏・平島久弘氏
この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。
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