どうも、僕です◯┓
姶良市加治木、国道10号沿いにある加治木まんじゅう屋「秀月」さん。
目の前の道路は何百回と通過したことがあり、「ここか!」となればわかるわけですが建物を見るとやはり初めてちゃんと見たなとなる感じのお店です。
屋根すぐ下の秀月の名前の入ったサインが秀逸であり、何度も書き換えたであろう「うんまかまんじゅう屋」という文字がまたかすれて消えかかっているのも大変味わい深いです。歴史を感じます。

「できております」という看板もいいですねぇ。
この文字のバランス、既存フォントでは表現できない。
文字の周りにあしらわれているのはお月様でしょうか。
いい、めっちゃいい。

創業70年らしいお店の中に入ると、ふわっと麹のような匂いが立ち込めてきます。
一朝一夕で感じさせることはできない、しっかりこの空間の中に染み込んで重なり合ったような香りのような気がします。

店主さん直筆で加治木まんじゅうへのこだわりが書かれています。
このお店の創業者はすでに亡くなっており、その奥さんと弟さんでやっておるんだとか。
どちらが書かれたかは謎です。
こちらでは「こしあん」「つぶあん」「うぐいすあん」「よもぎあん」などを楽しめます。
むらさきいもあんあるのかな。
創業70年で90歳ということは20歳くらいの時に始めたことになります。
戦争が終わって10年、自民党が結党されたり家電三種の神器が登場したり、トヨタクラウンが発売されたりしたころ。
経済成長率が毎年10%上がる、いわゆる高度経済成長と呼ばれる時代にできたお店のようです。
めちゃ景気がよかったかというと、鹿児島からは集団就職でたくさんのキッズたちが金の卵と呼ばれて東京や大阪に行ってた時代なんで地方への恩恵は薄かったのかもしれません。
戦争が終わって少し希望が芽生えてきた時代に、加治木の人たちの楽しみになっていた・・・そんな時代を見つめてきたお店なのかなぁなんて思うと大変胸が熱くなります。

製造スペースには蒸し器など年季の入った機材が見受けられます。
10号線を行き交う車・人々を眺めてきたんだなぁと思うとまた胸が熱くなります。
佇まいが素敵です。
カウンターで注文すると、店主ばあちゃんが包んでくれます。

この日はすでに黒いあんこ類は売り切れていたのですが、弟さんが「うぐいすあんはくせになるおいしさだよ!」とレコメンしてくれたのでうぐいすあんにしました。
包み紙もいいですよねー!
「手造りです」
今でこそ手作りのよさは見直されていますが、高度経済成長をきっかけに機械化やら魅力的で安いお菓子なんかもたくさんでてきて、子供も喜ばなくなって、それでも手作りにこだわって・・・そんな想像をするともう目頭も熱くなってくるわけです。
何周か回ってまた、その良さが溢れ出してきております。

包み紙を広げて眺めるのもまた一興です。
手書きのイラスト、写真、文字。
見慣れるとそうでもないのかもですが、しっかり眺めるとまた味わい深い。

緑の色をしたうぐいすあんまんじゅうです。
ばあちゃんありがとう。
1個120円。
創業時は10円とかだったんですかねぇ。
直近で値上げがあったようです。
もう遠方から来た人とかからは言い値で200円くらいもらって、たまには城山ホテルにでも泊まりに行って風呂入って美味い飯でも食ってくれ・・・!と思います。

確かに美味しいうぐいすあん。
先ほどまで保温ケース(発泡スチロール)に入っていたのでまだほんのり暖かい。
持って帰って揚げてみたり、炊飯器の保温ご飯に乗せてしばらく温めても美味しいのです。

僕は「まんじゅう」が好きででしてね、観光地とかに行ったら必ずあるんですよ。
先日は万博でミャクミャクまんじゅうをいただきました。
ローカルスイーツの原点にして頂点なんですよ。
加治木にお城を作ったとき、作業した人に焼酎とまんじゅうを配った的な発祥で(諸説あるらしい)400年の歴史がある、加治木まんじゅう。
この道70年、旦那さんが亡くなっても作り続けて御年90歳。
ただただすげぇなぁと思います。
どういう気持ちで長年取り組まれてきたかは知りませんが、人生の最後の最後までやれる仕事があるのはほんと羨ましい限りです。
ぼかぁ幸せなことだと思います。
加治木の10号線沿いでおばちゃんとおじちゃんがぼちぼちやっている、鹿児島の宝と言っても過言ではない秀月の加治木まんじゅう、一食の価値ありです。
そいじゃあまあた!
秀月のかじきまんじゅう
場所:鹿児島県姶良市加治木町本町11
営業時間:10:00~19:00
参照元:仲良しきょうだい姉(90)弟(81)が守る「加治木まんじゅう」ふるさとの味 鹿児島【きばっちょいもす】(MBC南日本放送)

