ホールツアー「HOPE」を成功させ、11月の西原商会アリーナ2Days公演「TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA」を控えた長渕剛さんが、故郷鹿児島の若者が集う鹿児島中央駅前一番街のリハーサルスタジオ「ウォークインスタジオ」を訪れてくれました。
長渕さんにお話しを聞いてくれたのは、WALK INN FES!などの地元音楽イベントを手掛ける20代の「よちおちゃん」こと吉永ゆうきさん。
鹿児島で生まれ育った長渕さんに、鹿児島で過ごしていた時代のこと、今を生きる鹿児島の若者達への想いを語ってもらいました。
引き込まれるように帰ってきた、西駅一番街
よちお
今日は故郷の大先輩、長渕剛さんの魅力を私と同じ20代の若いみんなに知ってもらえる機会になればと思います。だから、台本も作ってはきたんですが、私が今本当に聞きたいことを率直に聞いてもよろしいでしょうか?
長渕
いいね、そうしましょう! 今日ウォークインスタジオに来たのは初めてなんですが、ここは昔でいう西鹿児島駅前の一番街、今の鹿児島中央駅前ですね。中学時代はこの辺で友達と遊んでたんですよ。この近くのガス屋の息子と同級生で、そいつの家に年中泊まり込んで遊んでました。本当に久しぶりにここに来て、僕が仲間たちと過ごした「アジト」みたいな、あの独特の雰囲気を思い出しました。いい場所ですね。
よちお
ここはリハーサルスタジオなんですけど、バンドだけでなくタップダンサーとか、本当にいろんな方が来てくれます。高校生が放課後に来て、別にスタジオに入るわけでもないのに、ずっとここにいることもあって。たまり場みたいになってるんです。
長渕
じゃあ、僕の時代と一緒でこの辺が若い子たちの居場所になってるんだ。今日はなんか引き込まれるようにここに来ましたよ。不思議な縁を感じるね。

街の文化は「不良」たちが作ってきた
長渕
最近は一番街からすぐにアミュプラザなんかもあるけど、天文館は若い人が集まっていますか?
よちお
私の学生のころはアミュプラザに若い子が集まっていました。天文館は若者が減ったとも言われますが、コロナが終わった頃から天文館のライブハウスに高校生くらいの子達も集まってきています。打ち上げ目当てだったり、居場所探しだったり、私もそうだったので、目を輝かせてやってくる若い子を見ると嬉しくなります。ここやライブハウスで仲間が増え続けています。
長渕
高校生の子たちの隠れ家で、アジトで、ここから何かが始まる。僕もこのスタジオのすぐそこで、友達と一緒に過ごしたコタツ布団から色々なことを始めていました。歌も書いてたしね。 いつの時代も不良が文化を作るんだよね。僕らの時代の「不良」っていうのは、弱い子たちはちゃんと自分たちで面倒を見て、悪しき強いものをくじく存在でした。僕はその中で1匹、ギターを弾いてました。仲間から「あいつに殴られた」みたいな話を聞くと、「じゃあ、カチコミに行くか!」ってなるんですよ。そしたら俺が「カチコミに行くのに狼煙(のろし)になる歌が必要だ」って言って曲を作る、「殴ったやつは出てこい!っていう歌を書こう」って。そういう歌をガンガン書いて、みんなの士気を高めて、カチコミに行って甲突川の河川敷とかで喧嘩をしましたね。活気ある、正しい少年時代です(笑)。女子はそれを遠くで見て「頑張って、負けないでね」なんて言って応援してくれてたんです。
よちお
当時の女の子たちはやっぱり、喧嘩が強い人が好きなんですか?
長渕
その頃はね、喧嘩が強いか、足が速いか、歌が上手いか。僕は、頑張って歌のうまいやつになりたいと思ったんだ。
子どもたちが作ったコミュニティの中でそれぞれ役割を持って、地域の文化が生まれていく。世の中にいい影響を与えたり、周りの人をハッピーにすることだってあった、そんな場所で頑張ってた若い子たちを「不良」って呼んでいたんじゃないかな、今は不良という言葉の意味も歪んじゃったけどね。みんな、社会のいろんな圧力を敏感に感じ取って「冗談じゃない」って思いを持って、仲間と一緒に頑張ってましたね。
よちお
そうですね。私はヤンキードラマとか映画が大好きで、スマホの待ち受けもずっとヤンクミ(ごくせんの主人公・山口久美子)で、学校の先生が嫌いだった私にとっての先生です。
長渕
ヤンクミ先生は不良のリーダーみたいな感じで慕われていましたね。リーダーはみんなの気持ちを汲み取りながら、「こういうことやったら面白いよね」っていうのを企ててみんなを引っ張る。どの時代にも似たような存在はいると思うんです。不良を引っ張っているリーダーは、良い意味でみんなのハッピーを考えていたね。
よちお
私、実は北海道出身なんです。中学1年生の夏に鹿児島にやってきました。北海道に親友もいたし、あまり馴染ずに北海道が私の故郷だと言い聞かせて過ごしていた時期もありました。私の居場所を探している時に、高校2年生の時にウォークインスタジオと出会って、この人たちと同じようにワクワクキラキラした大人になれるのかなって思って。そんな思いでウォークインスタジオに通うようになりました。
長渕
自分で探して歩くってところが素敵だね。「これじゃ何か違う」と思って、自分の生きる場所、自分の輝きを感じられる場所を探し当てるのは、若者特有の感性感覚だからね。とても素晴らしい。
北海道から鹿児島にようこそいらっしゃいました。北と南の風土の違いにどんなことを感じましたか?
よちお
私、札幌から車で2時間かかる美瑛町という本当にド田舎で育ちました。電波も通らなくて、テレビも地デジが始まるまでBSしか映らない場所でした。毎日友達の兄弟と缶蹴りをしたり、トンボを捕まえたりしてました。そこから鹿児島市に引っ越してきて、都会だなとびっくりしました。
長渕
そういうところで幼少期を過ごしたってことは、すごく貴重な体験。もう今からやろうと思ってもできないもんね。でも、鹿児島は都会じゃないよ(笑)。この辺もちょっと離れれば全部田んぼでした。北でも南でも、田舎者がガッと集まって何かやってやろう!というパワーはすごいですよね。

大人に対する抵抗と反骨精神、そして自分自身が大人になるということ
よちお
長渕さんは高校生くらいの時、大人に対して思ってたことはありますか?
長渕
どの時代も、多感な15、16歳はみんな世の中の理不尽さみたいなことを感じるようになる。目まぐるしく変わる世の中や自分自身に対して、敏感に反応するのが思春期。日ごとに周りと身体や能力に差がついてきて、大人に対して反抗心も芽生えてくる。
僕は、若者が抱く大人への抵抗や反骨心、「こんなクソ大人や世の中はおかしい」というパンク的な気持ちを全部正しいと信じています。
反骨の精神を思い切り剥き出しにして、自分の思う道を追求していって欲しい。大人になると我慢を強いられることが多いから、それができるのが羨ましいと思います。もっと自由に、自分が思った通りにがんばってみて欲しいですね。
よちお
私は今年で25歳になるんですけど、「どのタイミングで大人って思わなきゃいけないんだろう」って、ちょっと気になり始めてて。大人になったと思うタイミングってありますか?
長渕
僕は、仲間と共に鹿児島の男として生きる精神や魂をこの街で学びました。でも、鹿児島を出て戦うために必要な法律や経済といった社会の仕組みは教わらなかったんです。それを知らずに、仕組みから外れたことをすると制裁を食らうことになっちゃう。「やったらやりかえす」という不良の論理は通じないんです。そういうことがあると「大人になんなきゃいけねぇのかな」と思うんですが、そこでまた鹿児島で学んだ「負けてはいけない」という精神がより強固になっていく。大人にならないとと思う場面もたくさんありますが、鹿児島で子供の頃学んだ「負けない」精神も手放していません、だからいつ大人になるかはいまだにわかりません。生涯少年少女でいいんじゃないでしょうか。
よちお
私も生涯少女でいたいです(笑)。長渕さんのお話しを聞いていて思うのですが、鹿児島の男性は特に「男はこうあるべき」みたいなものがあるなと感じます。北海道の男性よりもめちゃくちゃ感じます。
長渕
北海道の方は開拓をして自分の生活を切り開くという大変な思いをされてきた、尊敬すべき柔軟な開拓魂を持っていると思います。その一方で鹿児島では「男はこうでなくてはいかねい」という確固たる考えがある。それは男尊女卑ではなく「俺が、俺たちが女性や子供を絶対守る」という考えが本質ではないでしょうか。
よちお
鹿児島出身のお父さんやウォークインスタジオを通して、鹿児島の大人がみんなで守ってくれるような気概を、愛として素直に受け入れられるようになった気がします。
継続する力とファンの存在
よちお
長渕さんはコンプレックスってありますか?
長渕
ありますね、小さい時は身体が弱くて。みんなが遠足に行っている時に、布団の中で「ちくしょう、ちくしょう」と思いながら過ごすことも多かったです。だけど、そのコンプレックスは、やがて誰にも負けないぞ、諦めない心っていうのを形成していく一つの大きなチャンスだったんだと今振り返ると思います。
よちお
そんなコンプレックスをお持ちというのは初めて聞きました。SNSで見ると、身体作りにストイックに取り組まれているように思います。みんな、「長渕さんは当たり前に努力できる強い人」と思ってるんじゃないでしょうか。それでも本当は、やめたいな、つらいなと思ったりしないんですか?
長渕
九州から希望を持って飛び出ていったけど東京の優しくない環境や空気、毎日の戦いに打ちひしがれて、心も折れてばかりでした。それでも46年第一線で戦い抜いてこれたのはファンのみんなのおかげです。どれだけ世の中に負けて屈辱的な思いをしても、みんな僕の名前を呼んでくれるんです。「剛!剛!剛!」って親からもそんなに名前を呼ばれたことはない(笑)。どれだけ心が折れても、名前を叫ばれるたびに「やってやろうじゃないか」というスイッチが入り、諦めないでいられる。そういう環境に身を置くうちに30代半ばで「この人たちのために生きよう」と思い始めたら、体を鍛えたり食事を抑えたりというのも苦ではなくなった。それが普通のことになっちゃったんです。今は「あいつらのために頑張れる」ことを幸せに思っています。
よちお
私が1度見た長渕さんのコンサート、お客さんのいるフロアと長渕さんのいるステージが同じ熱量で「やりあっている」というように見えました。そこに愛を感じました。長渕さんにとって目の前にいるファンの皆さんはどんな存在ですか?
長渕
いい表現だね。愛。僕にとってファンは「戦友」なんだ。一緒にこの時代を戦っていく戦友。ファンという名称では語りきれない愛を持ってる。愛は慰め合ったりするんじゃなくて、戦わなきゃダメなんだ。同じ愛を持つ人たちが、世の中とどう戦っていくかっていう価値観や心の趣を持っている。僕たちが持っている愛をガチっと固めて、みんなで戦うエネルギーに変えていく。そのための共通言語としてあるのが長渕剛の歌なんじゃないかと感じるようになりました。
そんなふうに感じていたら「俺はあいつらに曲を”書かされている”」と思うようになったんです。苦しみ抜いて作った歌をレコーディングして、ライブでみんなで歌ってみんなの反応を見ると「やっぱりそうだ、この曲はこいつらが書かせてくれた」って思いますね。自分の歌であるようで、ファンのみなさん、一緒に戦ってくれるあいつらの歌である。そう思いますね。

孤独・寂しさと戦う武器、ギターを手にした日のこと
よちお
私がライブハウスやスタジオで働いていると、コロナ禍以降「売れたい」というバンドが増えてきたように思います。私は、誰が見ても長渕さんは「売れてる」アーティストだと思うんですが、長渕さんは「売れたい」と思って売れたのか、自分のやりたいことをやっていたら売れて行ったのか、いかがですか?
長渕
売れたいと思っていなかったわけじゃないですが、「仲間が欲しい」と思っていました。ひとりぼっちにならないために、孤独や寂しさと戦うにはギターしかないと思ってやってきました。
僕がギターを初めて買ったのは中学生のころ。アメリカからフォークソングが入ってきて、それまで流行っていた歌謡曲ではない斬新な歌に、今でいう団塊の世代が衝撃を受けたという時代です。若者達がPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)やボブ・ディランなんかを聞いて、自分たち自身もモーリスやヤマハのギターを手にとってフォークを取り入れて行きました。僕も当時12000円の借金をして、高見馬場にあったギター屋で初めてのギターを買いました。初めてのギターを手にして、CとAマイナーとFとG、4つのコードを覚えた時に、「天下を獲れた」と錯覚したんです。喧嘩に負けた悔しさ、振られた悔しさ、バカにされた悔しさ、今思えば小さくかわいい想いをテーマに全部曲にしていって、覚えたてのコードをかき鳴らして「これだ!」っておもったわけ。
足の速いやつにも、喧嘩が強いやつにも、勉強ができるやつにも音楽でなら勝てる、「ひとりぼっちにならなくて済むぞ」という思いが生まれました。
そして、僕が作ったこの歌をたくさんの人に聞いて欲しい、共鳴して欲しい「そうなんだよ長渕!」と共感してほしい。そんな気持ちで歌を作って歌い続けてきたというのが僕の音楽に対する偽らざる想いです。
結果として売れた売れないはあったかもしれないですが、それに左右されないように生きてきたと人一倍思っています。それだけじゃなく、レコード会社や音楽事務所の考え方にも流されないで、自分の音楽を正しくやろうと思う気持ちは昔も今も変わりません。
次の世代へ向けて、「売れたい」若者たちへ
よちお:
最近はTikTokとかSNSで、バズって知名度があがって急に売れるアーティストも多いです。すると、売ることに長けた事務所がついて本当にやりたいことが定まる前に大人に動かされるがまま、みたいな子たちもいるようにも思います。「自分の音楽をやりたい」と強く思っている若い子たちがブレないようにアドバイスをいただけますか?むしろ私がブレないようにアドバイスをください(笑)。
長渕
SNSはただのツールでしかないと思う。あまり好きな言葉じゃないですが「バズる」ことによって世間への認知が一気に広がるけど、実はその本人に実力がなくて酷評を受けてしまうこともありますね。ツールと実力は釣り合って行かなきゃいけない。信念を持っていて、それをみんなに知ってもらうために使えるツールだけど、実力以上の評価や言われのない酷評に左右されない自分であって欲しいですね。戦略を持って使って武器にしていきましょう。これは、僕より若い皆さんのほうがわかってることじゃないかな。
よちお
今、長渕さんのライブには様々な世代のお客さんがいらっしゃるそうですが、これから特にどの層のお客さんに来てほしいとかはありますか?
長渕
僕が言うのもおこがましいことかもしれませんが、若い連中が新しい文化を作っていくことに協力したい、一緒にやりたいと思っています。たまたま年齢的に僕が先に世に出て、社会の風圧に負けそうになったり、実際負けることもしてきました。その経験、いいことも悪いことも全て教えてあげたい。僕はいまの年齢的にもキャリア的にも次の世代につないでいく役割だと思っています。
若い皆さんには、ライブを通して僕の生き方を見て、大いに驚いて、大いに発見をしてほしい。その中で「これは違う」と思うことには酷評の声をあげても構わない。そういった声にどう向き合ってきたか、戦ってきたかを見せたいとも思います。そして、もし縁があれば一緒に戦っていきたい。次の時代に進む力にしていきたい。郷土の先輩として、今持っている全ての力を皆さんに渡して、最後「さよなら」といって終わりにしたいですね。
それは、考え方ややり方の古い大人と一緒にはできない。次の時代を担う若い皆さん、若い魂を持った皆さんと僕はやりたい。全ての人に対してそう思っていますが、鹿児島の若い人たちに対しては特に強く思っています。
よちお
私たちウォークインフェスでも、地元鹿児島のバンドやアーティストのことを一番に考えているんですけど、なかなかそういう場所にめぐりあえないバンドも多いです。鹿児島でずっと頑張ってきた大人たちが支えになってくれています。若い子たちとも一緒に考えてやってくれているんです。
長渕
僕はここまで東京や全国を飛び回って頑張って、(神奈川県)藤沢にスタジオを持てるようになりました。生の楽器が録れて、バンドも寝泊まりできる大きなスタジオです。そこを若いバンドマンたちの聖地にしたいと考えています。僕の目に留まるバンドを連れてきて、なぜ音楽をやるのか、音楽をやる目的や意義を問いながら、レコーディングをしたり、学びの場にして欲しい。ただ成功したい、金が欲しいだけじゃなくて「こういう音楽をやりたい」という人には声もかけていきたいです。そういうパイプを鹿児島とも作りたいんです。皆さんも長渕剛と繋がる方法を考えてみてください。
よちお
長渕さんの目や耳に留まるようにがんばらないとですね。
長渕
そうなんだよ、がんばらなきゃいけないんだよ。
命ある限り歌い続ける
よちお
いつまで歌いたいとかってありますか?
長渕
死ぬまで、歌えなくなるまで。歌えなくなったらそこで終わり。いつ引退するかなんて考える必要はないと思っています。自分の命ある限り、歌を作って歌っていく。いつもそう思っていますが、40歳を境に続けることの難しさも身に染みてきました。一方で、人間としての円熟みが増してくるのもその頃じゃないかと思います。自分がどういう音楽を社会に打ち込んでいくのか、誰と仲間になってどんな目的で走っていくのか、それがより繊細に明確になっていきます。選び抜いた仲間とともに、その目的に自分の命を捧げていく。それをやりきれるよう、くたばってしまわないようにと思うと、日々の暮らしを切り詰めて、身体を管理していくのが当たり前になる。結局そういう思いになっていくんです。
よちお
私も最近、120%でやりたい気持ちはあるのに体力がないだけでやりたいことができなくて悔しくて、ランニングを始めたんですけど継続できてなくて。そういう時、UVERworldのTAKUYA∞さんの言葉を思い出すんです。
長渕
いいよね、彼も身体を鍛えていて、かっこいいよね。
よちお
長渕さんからも、怠け者が頑張れる言葉をいただきたいです。
長渕
人間は何もなければみんな怠け者になって楽をしたがる。だから何のために走るのか、鍛えるのか、食べたいものを我慢するのか、その先にある目標を決めればいい。そこに辿り着くための今だと思えば楽しくなってくるもんですよ。目的もないのに頑張るのは僕にだって無理無理(笑)。より具体的に掲げた目標に向け、ストレスがたまったらとりあえず走ってみる。「私は目標に向かって走っている」という勇ましい自分をイメージしてみる。目的と走ることは直接関係ないかもしれませんが走り続けると、目的に向けて走り抜くための脚力や継続できたという強い気持ちが自分の中に宿ります。やらないとそうはならない。そして、「やった側」人間として「私は結構イケてるかもしれない」と自己暗示をかけてみよう。それを3ヶ月やると自分が変わってくる、半年やれば実力が付いてくるのがわかる。3ヶ月と1日目には走らない自分が嫌になるから。そこまでは頑張れ、騙されてやってごらん。僕も経験したことです。走らなきゃいけない自分になるのはすごいこと。
11月のライブで鹿児島に帰った時、走った自分はどう?って聞くからね。走らなきゃ何も変わらないからね。約束しよう。
よちお
なんか、3ヶ月後にお会いして、言わなきゃいけないって思ったら一番のやりがいになっています。多分大丈夫です。
長渕
いいね。僕はやり続けてるから。大丈夫。
鹿児島の音楽を、文化を世に知らしめよう
よちお:あの、私たち「ウォークインフェス」というのをやっているんですが…長渕さん、どうですか?
長渕
ウォークインフェス、いつなの?
よちお
8月キャパルボで開催したあと、来年は桜島でまたやろうと。
長渕
せっかくだから、しっかり企画コンセプトを考えてみよう。ただ出て歌って帰るだけじゃもったいないよね。若いバンドに課題を与えて「長渕剛に聞いてもらおう」とか。僕も一生懸命聞くから。競い合って戦い抜けるレベルの高い若い子に僕のステージに上がってもらうとか、期待を持って頑張ってもらって、僕ができるご褒美も準備したら楽しいんじゃない?そういったバンドや取り組みを応援してくれるスポンサーや企業が現れるみたいな流れまでできたらいいよね。
よちお
ありがとうございます…。具現化できるように、土台作り頑張ります。ウォークインフェスの長渕さんのファンの方々がいらっしゃっても、飲み込まれないようにしないと。それじゃ意味がないと思うので。がんばります。
長渕
鹿児島にもこんなにいいバンドがいるんだぞ!と世の中に知らしめてみたい。鹿児島のフェスも色々あるけど、みんなで話し合って曲がらない信念が生まれていくことに期待しています。営利目的だけじゃない、鹿児島の文化や若者の力を引き出す取り組みに協力したいと思います。
よちお
そこまで言っていただけて、びっくりすぎて…みんなの励みになります。がんばります!
長渕
今日は盛りだくさんでしたね、だいぶ話したね!いい感じがする。
よちお
いけてましたか?
長渕
いけてますよ(笑)。
よちお
ありがとうございました。ランニングもがんばります。
長渕
また11月にいい報告が聞けるのを楽しみにしています、お疲れさまでした。

今回のインタビューを通して、長渕さんが優しく、楽しく、真剣にお話しをしてくださったのがとても印象的でした。よちおちゃんも言っていたとおり、「長渕さん、ちょっと怖いよね」と思っている鹿児島の方も多いと思いますが、まだまだ知らない顔があるような気がします。
輝かしいキャリアを歩み続け、「鹿児島で何かやりたい」と真剣な眼差しで語ってくれた長渕さん。鹿児島の若者と新しい道を切り開く未来が楽しみになる時間でした。
長渕さんの熱い想いが西駅一番街から始まったように、鹿児島中央駅一番街から鹿児島の新しい物語が始まるかもしれません。
最後に、ウォークインスタジオの壁に「生涯情熱」という文字を書き残してくれました。生きる元気が欲しい、戦う情熱を見つけたいという方はぜひ11月鹿児島アリーナへ行ってみてください。
(interview:吉永ゆうき(よちお・Walkinnstudio!) photos:いちどー(Wiθ) text:カゴシマニアックス)

■■TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA■■
2025.11.8(土・チケット完売!)・11.9(日・チケット残りわずか!)【鹿児島】西原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)
両日とも開場/開演16:30/17:30
チケットはこちらのページ(https://gakuon.co.jp/ec/html/products/detail/298)から各プレイガイドでお求めください。
■■WALK INN STUDIO!■■
場所:鹿児島県鹿児島市中央町24−6
ウォークインスタジオを覗いてみたい!という方はスタジオ公式インスタ(https://www.instagram.com/walkinnstudio246/)からご連絡をよろしくお願いします。

