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2025年は僕の一生の中で長渕剛さんのことを一番考えた、触れた1年だった。

どうも、僕です◯┓

鹿児島出身のアーティスト、長渕剛さん。
1978年デビュー、昭和、平成そして今現在令和を走っているスーパースターであることは説明不要でしょう。
2025年、長渕さんとお会いする機会があり、ライブにも足を運ぶことができました。
今回は、長渕剛さんのことについてお話ししてみようと思います。

僕と長渕剛さん

鹿児島出身の長渕剛さん。
僕は指宿生まれ霧島育ちだったので、そういう意味では鹿児島と言ってもマジョリティーシティ鹿児島市とはまた違う鹿児島で生まれ育ちました。毎日桜島が見えるような場所で過ごしたわけではありません。長渕さんが育った鹿児島とはまた違った鹿児島で育ったのかな?なんて思います。
それでも、これまでの人生を思い返してみると各所に長渕剛さんの姿が見え隠れします。

小学生のころ「しゃぼん玉」を聞いて育つ

長渕さんがブレイクしたきっかけのひとつに「とんぼ」というドラマの存在があります。当時の僕は幼稚園で記憶にも残っていません。
ところが、テレビドラマで聞いていた長渕さんの曲で「泣きっ面にしょんべん、ひっかけられたよぉー」(※正確にはよぉーではなく、夜)というフレーズが幼い頃から残っている記憶があるのです。
調べてみると、長渕剛さんが主演した「しゃぼん玉」というドラマの主題歌が「しゃぼん玉」。年号が変わったばかり平成3年のお話しです。これまた、内容はさっぱり覚えていないのですが。
ネットで断片的に残っているドラマの動画を見ても全く思い出せないのですが、しゃぼん玉のあのフレーズが30年以上僕の頭の中にあるのです。

我が家に伝わる長渕剛伝説

鹿児島には長渕剛さんの噂・鹿児島時代の話が伝説のように語られています。
順子さんの話、学生時代の話、「きばいやんせ」はおいのために作られたと豪語しているおじさんの話、鹿児島にはネットには出てこない長渕剛さんのエピソードが多数語られているのです。

僕の親族にもまことしやかに語られている長渕剛さんのエピソードがあります。
僕の叔父は長渕剛さんと年齢が近く、福岡での学生時代に会ったことがあるそうです。
同郷の飲み会の時に「東京でアーティストになる」という目標を掲げていたところ、同郷の人たちから「お前では無理だ」と散々言ったと振り返る証言があります。
この話、真偽のほどが不明であると長年我が一族の謎とされています。

幸せになりたくて毎日聞いていた「幸せになろうよ」

とんぼから20年近く後、2003年。「しあわせになろうよ」という曲がリリースされています。
当時僕は浪人生をしており、霧島温泉駅(旧牧園町)から、翌年より鹿児島中央駅と呼ばれるようになる西鹿児島駅へ、毎日JRで予備校に通学していたのです。
毎朝、MP3プレイヤーで音楽を聞いていたのですが、その中に長渕剛さんの「しあわせになろうよ」が入っていました。
なんで入れてたかは忘れた(多分当時流行っていたあまり良くない方法で音源を入手していたはず)のですが、毎朝欠かさず聞いていました。
多分今でも歌詞を見ずに歌える唯一の長渕剛の曲です。芸歴間も無く50年の長渕さん、聴く側の年齢年代でもずいぶん見え方聞こえ方が違いますよね。
翌年、なんとか大学に滑り込み、春から遊び呆けている時のカラオケでよく歌っていた気がします。

桜島ライブの時は鹿児島に

長渕剛さんが桜島であの伝説のライブを行ったのは2004年。
僕は大学生になっており、翌週のサマーナイト花火を見るために帰省していました。
確か天文館で飲んでいて、遠巻きに聞こえた記憶が残っているのです。
「鹿児島市内まで聞こえた」と語り継がれるあのサウンド、僕の耳のどこかに残っています。
伝説と呼ばれるあのライブ、僕も一応生き証人なのです。

男たちのYAMATO

あのライブの翌年2005年、男たちのYAMATOという映画が上映されました。主題歌は長渕剛さんの「CLOSE YOUR EYES」。
映画を見たのは後年になるのですが、主題歌はよく耳にしていました。
そして、広島に住んでいた頃、たまたま遊びに行った尾道で映画のセットの戦艦大和を見た記憶があります。
広島で学生時代を過ごし、広島の大人と触れ合う中で「薩摩にはこんないい歴史がある、素晴らしい人物が出ている場所だね」と言ってもらえたのに、全然全く鹿児島の歴史を知らず、ただただ愛想笑いをしただけだったのを覚えています。
鹿児島は特攻基地があった場所であること、鹿児島出身のアーティストに長渕さんや、この頃人気が出てきたAIさんもいたりする、故郷を離れて「生まれ故郷鹿児島」という場所、歴史、人みたいなものを朧げながらに意識するようになりました。

清原引退

2008年、西武、巨人、最後はオリックスで活躍した清原和博が引退しました。
引退式でギターを弾く長渕さんの様子はネットミームにもなってしまうほど注目されたのです。
このあたりから、インターネットで長渕さんのニュースを目にすることが増えました。

遠くなっていた

僕の学生時代くらいまでは長渕さんの記憶を色々あることを思い出せるのですが、2010年以降は思い出せるものがありません。Wikipediaも眺めてみたのですが、ピンときたのは2015年の富士山ライブくらいでした。
僕の中では結構遠い存在になっていきました。

2025年、長渕剛が剛さんになった年だった

ところが近年、長渕さんが結構鹿児島に帰ってきてて、あのホテルに泊まってるとか、あそこに行ったらしいみたいな話をよく聞くように。特にその存在を意識しない、僕の長渕剛像はネットでよく見るような感じ、ただ同郷ではあるという認識くらいだったのです。
2025年、僕は長渕剛さんと向き合う、向き合わざるを得ない年になったのです。

インタビューを敢行

ふとしたきっかけで長渕さんのインタビューをやることになりました。
実は、最初無理だと言ったのです。嫌だと言ったのです。おっかねぇし。
好きな歌はたくさんあるけども、正直最近の歌は知らないし、何より想いがない。
お断りしたのですが、長渕さんのことをあまり知らない人に知って欲しいのでぜひと言っていただき、僕は考えました。

今から長渕さんのことを勉強して、最近の曲も聞いて・・・付け焼き刃でやっても絶対面白くはならない。そこで白羽の矢を立ててしまったのが、鹿児島の音楽スタジオウォークインスタジオのよちおちゃんこと吉永さん。鹿児島で誰よりも音楽であったり、音楽をする場所に向き合っている若者の一人です。「なんとか勉強してきました」という40歳より、「長渕さん、あんまり知らないっすよ」と言える若者の方が面白いと考えたのです。

よちおちゃんに連絡してみると「私じゃ無理じゃないですか?笑」と。
なんとか頼み込んで、2025年8月、インタビューの日を迎えました。

一応「困ったらこんなこと聞いてねシート」を用意したのですが、開始5分で「台本なんかもあるんですけど、私が今聞きたいこと聞いていいですか」と言い出したのです。
僕は「よっしゃ」と思いました。狙い通りです。長渕さんも「いいね!」とニヤリ。
長渕さんも日本中のありとあらゆるメディアから良いことも悪いことも山ほどインタビューを受けてきたいわば百戦錬磨。そんな長渕さんが、優しく真剣に受け答えをしてくれました。
長渕さんとよちおちゃんの間にある真剣さ、僕は出せなかった。
「よちおちゃんでよかった」とインタビューに立ち会った大人全員が思ったはずです。

ウォークインスタジオの壁紙前の二人

この時のインタビューの様子も記事になっているのでぜひ見てみてください。
目の前で喋っている長渕さん、「昔はこの辺で遊んでたんだよ」と懐かしそうに語ってくれる長渕さんを見て、とても身近な存在に感じたのです。

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大勢の人が集まるイベント会場

インタビューをきっかけにライブに行くことになりました。
8月にお会いする時、最新アルバムを聞いたのですが、しっかり予習するか悩みました。
初めて聞く長渕さんのライブ、「生歌を聴いたことがない」のは初めてだったのですごく悩みました。
また次聴くことがあると思うと、知らないことが多い方がいいのではと思い、他の会場のセットリストを見て改めて聞き込むなどいわゆる予習は避けていきました。

正直ちょっと怖いかもしれないと思いながらの鹿児島アリーナ。
長渕さんがインタビューで言っていた通り「三世代で応援している」ファンの家族らしき方もいらっしゃいました。
革ジャンを着たおじいちゃんの手を孫が引いている、そんな姿が見られました。
意外と知り合いにもたくさん会いました、気合の入った生き方をしていると僕が思う知り合いが結構いたのです。長渕さんの歌は、そういう人たちの支えになっているんだなぁ。
イカついお兄さんも一定数いたのですが楽しみにしている様子で、「長渕剛のライブ、なんか怖そう」という僕のイメージは脆くも崩れ去ったのです。

屋外のイベントで集まる人々

ステージに立つ長渕さん、インタビューでお会いして一気に身近な存在と思い込むようになっていたのですが、やっぱりスーパースターでした。赤いシャツの皺一つがカッコいいのです。
長渕剛はやっぱり長渕剛、これまでテレビなどで見てきた長渕剛そのものです。
みんなが思う「長渕剛」であるために、この方は筋トレをしたり、世の中と戦ったりしてきたんだ・・・
第一声「ようこそ!」にシビれましたね、通常のライブであれば長渕剛のライブへようこそ!だと思うのですが、県外からもたくさんのファンが来てくれているホーム鹿児島。「鹿児島へようこそ!」でもあったのではないでしょうか。そう思うと、さらにカッコよく見えてきました。
たくさんの人を鹿児島に連れてきた長渕さん、ずっと笑ってる。カッコいい。

ギターを弾くステージ上の男性

「今日は父ちゃんと母ちゃんも来てくれてるかもね」と始まった鹿児島アリーナ2日目。
僕は人並みよりちょっとだけライブをたくさん見てきたと思うのですが、久々に「ギターってこんなカッコいい音がするんだ」と思わざるを得ない音が耳に入って頭を振るえさせました。

ステージで歌うサングラスの男性歌手


こんなふうに感じたのは人生で2回目です。1度目は桜島ウォークインフェスで聴いたEastanYouth、吉野寿さんのギター。フェスは出演前の準備も見えるので、「ここまで準備するのか」とじっくり準備をした後に出てきた音に感動したのを今でも覚えています。あとでサブスクで聞いても同じ音はしません。しっかり作り上げて聞く生の音、すげぇカッコいいギターの音を出す人が世の中にいるんだと思ったのを今でも覚えています。

赤い舞台で演奏するバンド


数日前からアリーナに入り音作りをしてきたと聞いていたので、やはりいい準備をするといい仕事ができるのだなと実感しました。
アンコールで最後に歌ってくれたBLOOD、トットットットッと体の中に血が流れる鼓動が聞こえてきたのです。

鹿児島弁でのMCもしてくれました「こげな田舎せーきっくえせー、一流の音楽が聞けっせー幸せやね(こんな田舎まで来てくれて、一流の音楽が聴けて幸せだね)」とバンドメンバーを紹介。今回のライブを支えてくれたバンドメンバーの演奏も素晴らしかったです。長渕さんが一流と言えるメンバーの演奏も見応えがありました。

MCでは、学生時代に天文館でチケットを手売りして、初めて鹿児島中央公民館でライブをした、チケットを売っていたら順子にまた会ったというエピソードを披露してくれて湧いていました。

マイク前でギターを弾く男性

長いことファンをされていそうなミドル男性が、曲の間は拳を突き上げて、曲が終わると椅子にヘタっと座り込むんです。多分、ここにいなければ椅子に座ることが多くなりがちな人生。目の前の長渕剛と戦っているのだなぁ。長渕さんが言っていたとおりでした。「剛!剛!と拳をあげて叫んでくれる限り、俺はあいつらのためにできなくなるまでやる」、その通りでした。

あえて予習をせずに行って正解でした。曲はあまり知らなくてもいつの間にか全曲終わってる。知らないから見えないことも多分ある、今回しか見えないことがあった。そんな時間になりました。

暗い中で立つ男性

鹿児島の人が支える

実は今回の鹿児島ライブ、鹿児島出身のスタッフの支えもありました。
長渕さんのインスタにも登場した龍一さん、鹿児島のジムのオーナーで鹿児島でのフィジカルサポートや身の回りのケアなどをされていた方です。僕の高校のレジェンド先輩でもあります。

ステージでジャンプする歌手


そしてもう一人、東京の大手芸能プロダクションで大御所俳優や、有名アーティストのマネジメントに長年携わり、2024年に鹿児島にUターンして来てくれた上野さん。
日本の第一線で走る才能を支えてきた力を鹿児島でどう生かすのか、楽しみです。

そんな鹿児島の二人も今回のライブを支えていたのです。

更衣室前の人物たち

生涯情熱

長渕さんのことを考える時、いつも思い出す言葉があります。
ライブに先立ってお話を聞かせてもらった後、ウォークインスタジオに「生涯情熱」という言葉を残してくれました。
70歳になろうかという長渕さんを音楽へ駆り立てる情熱、「ファンの前に立つために、あいつらの前に姿を見せて歌うために、自然とそうなっていた」とトレーニングを始めた長渕さん。
僕も40歳過ぎてきて、頑張る気持ちがあっても体力がないと足は動かない手は動かない、脳みそは動かないことを実感しています。
情熱を燃やし続けられる、気持ち、体力は自分で作らなければならないのです。
それを体現してくれてくれた、背中を見せてくれた、今回の鹿児島ライブでした。

壁にカラフルなペイントと手書き文字

長渕さんが鹿児島でやりたそうにしていること、そして2026年が始まる

あのインタビュー、ライブのあと、僕は時間を見つけては長渕さんのインタビュー記事や動画、そしてファンのみなさんのブログを眺めています。
長渕さんと真っ向勝負で言葉をぶつけている成田さんもマジですげぇなと思うのですが、それに真剣に答えていく長渕さんもすごい。
皆さんも気づいていると思うのですが、30過ぎた頃から若い人とちゃんと喋るのってエネルギーがいるんですよ。
長渕さんはむしろそのエネルギーを欲している、そのために色んな人と喋っている、そして俺が命懸けでやっているライブでお前のエネルギーをぶつけに来てくれ。そんな風に思っているはずなのです。
ちなみに、長渕さんが成田さんとの対談の中で「だからよ」と言ってるところがグッとくるのでぜひ見てみてください。

長渕さんがインタビューで「これからの若者の力になりたい、特に鹿児島の若者に対しては強くそう思っている」とおっしゃってくれています。
そんな若者が名乗りをあげてくれるのかわかりませんが、少なくとも長渕さんはそう言っているよと若い子たちに伝えていきたいと思っています。僕が何かできるとしたら、こうやってブログを書いて記事にして、みんなに伝えていくことだと思います。

赤い光の中でギタリストのシルエット

アーティストとかタレントさんって呼び捨てなのでこれまでは長渕剛だったのですが、一度もう会ってしまっては長渕さんだし、喋ったこともある鹿児島の大先輩であるので剛さんなんだと思います。ステージの上ではやはりスーパースター長渕剛だけども。

サングラスと赤シャツでステージパフォーマンス

僕がこんなふうに思ったように、鹿児島の誰かがまた剛さんと呼ぶ仲間になるのか。
長渕さんが今の鹿児島で、西鹿児島駅もない天文館も寂れがちの2026年鹿児島で、まだ見ぬ何かを見つけられるのか。
みなさんもちょっと注目しておいて、「これは」と思ったら動いてみると、何かが始まるかもしれません。

そいじゃあまた!

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この記事を書いた人

指宿生まれ霧島育ちのアラフォー。中学生時代からWebサイト作りに励んでいます。現在、月間最高100万PVの鹿児島地域情報サイトカゴシマニアックスを運営。
10年以上活動していたYahoo!ニュースエキスパート、LINEニュース、SmartNews、マークパンサー公式サイトに記事配信をしたり、南日本放送MBCでパーソナリティもして鹿児島の情報を提供し続けています。
地域のグルメやニュース、チェーン店・コンビニ情報を提供し続けています。
上級ウェブ解析士、上級SNSマネージャー、PRプランナーの資格を持ち、企業・個人のWeb施策・広報PR・マーケティングのサポートもしています。